ラポール・その2

 私は、私の催眠に快く入ってくださる方に、よく不意打ちで催眠をかけます。

 私が不意打ちでかける催眠は「立てなくなる」というものです。

 不意打ちといっても、その人が主役でなければならない場面とかではやりません。やっていい時にやります。

 やっちゃダメな時にかけると、かからないか、その時はかかっても、次からかかっていただけなくなります。

 そんな私の不意打ち催眠は「ゲリラ催眠」の愛称で親しまれています(笑)。

 ところで、そのゲリラ催眠は、かかってくださる方の背後からかけることが多いです。

 すると、催眠をかける刺激を与えた瞬間って、催眠をかけられている人は、刺激を与えている人が私かどうかわからないということがあります。

 その時はどうなるかというと。

 刺激を与えられた瞬間は、立てない症状(かかる人によって症状は違います)は出ないのだそうです。

 振り返って、その刺激を与えたのが私だとわかると、症状が出て、立てなくなる。

 つまり、その催眠って、私がかけてるからかかるのであって、誰でもいいわけではないようです。

 もちろん、かかる人が「この人は私に催眠をかける人である」って認識を持っている人が私と同じようにかければ、やっぱりかかるのかなとは思います。

 「この人は私に催眠をかける人であり、私はその催眠にかかる人である」というラポール(ラポールは単純な信頼関係を指さないことは以前書きました)が催眠には大切なんだなと、 改めて認識しました。

 ちょうど、某催眠術師の本を読んで、ラポールは関係ないって記述を見ましたが、そんなわけはなく、やはり催眠はラポールに始まりラポールに終わるのだと思います。

 ちなみに、背後でなく、正面からかける時は、会話でかけていきますが、それはまたあとの話で。

見せ方の威力

 突然ですが、私は、アップルが嫌いです。

 あ、リンゴじゃなくて、アップル社です。

 好きな人がたくさんいるのにごめんなさい。でも嫌いです。

 私はアイデアも好きだけど、技術も好きなので、アイデア偏重技術軽視のスタンスが苦手なのです。

 そんなアップル社の製品、つまりはアップル製品のすばらしさをPRする番組がありました。

 あれはiPhoneの入力の話だったでしょうか。

 音声による言葉を正確に拾って文字入力ができるとか、翻訳もできたのか。

 その性能はよく覚えていないのですが、番組出演者は、その性能に驚き、感心。

 その性能は、無くても困らないものだけど、確かにすごいのかなと思うものでした。

 ところが。

 最後の説明。

 iPhoneには、説明書がありません。

 なぜなら、紙をムダにしない理念があるから。

 説明書はネットで見れます!

 これに会場は猛烈に感心。

(文言は正確じゃないかも知れません。ごめんなさい。)

 ちょっと待って。

 ネットに説明書が落ちてるなんて、フツーですよね。今の時代、無い方がおかしい勢いのはず。

 そして逆に、スマホが扱えたとしても、ネットが苦手な人はいますよね。そういう人は説明書見られませんよね。

 だから、他のメーカーは、ネットに説明書が落ちているにも関わらず、紙も渡してるんですよね。

 先に理念を語ってしまえば、理念が見えない他のメーカーの気遣いの方が愚かしいように見えてしまうのかも知れません。

 また、iPhoneの防水のCMも。

 他のスマホはどちらかというと防水は標準ですよね。ものによってはハンドソープで洗えたりもします。

 それを「ほとんどマジック」って(笑)。

 私がここで言いたいのは、アップル製品がしょぼいってことではありません。

 大したことでなくても、見せ方を工夫したり、順番を追っていけば、すごいことのように見せられる、ということです。

 某ババ抜きも。

 すごいように見えるのは、そのまえにスプーン曲げをやり、それで心理学に詳しいように見せるという準備があったからです。

 それなしに、いきなりあの形でのババ抜きをやってみたとしたら。

 怪し過ぎて言葉もないはずですよね。

 何かをし遂げるときには、本当にすごい必要は無く、見せ方の方が重要なのかも知れません。

 ものを売る時も、ものの素晴らしさよりも、売り方の素晴らしさの方が重要なことがあるように。

 これも、催眠、メンタリズムを心理学だと誤解している人にとってはメンタリズムなのかも知れませんね。

ナポレオン・ヒルと思い込み

「あなたの能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込みなのです。」 (ナポレオン・ヒル)

・・・。

・・・。

・・・。

 私は正直、ナポレオン・ヒルさんを存知あげませんが、好きな人が最初の言葉をナポレオン・ヒルさんの言葉なんだよという紹介とともに見た場合、スッと腑に落ちるのではないでしょうか。

 冒頭にあげた言葉にしろ、ナポレオン・ヒルさんの著書のタイトル「思考は現実化する」にしろ、私からすれば暗示以外の何物でもないのですが、ナポレオン・ヒルさんの言葉として 紹介されるか、催眠暗示の一例として紹介されるかで、悲しいことに暗示の入りが違います。

 催眠術師は、どうしても「それは催眠だ!」って言いたくはなるのですが、それだと暗示の入りが悪い、もしかすると拒絶として現れるのであれば、催眠だ! って言うのは諦めざるを得ないのかもしれませんね。催眠術師としては悲しいけれど。

 これを心理学では「権威性」というのでしょうが、私自身はそういう類の権威への信頼が非常に薄い人なので、有名人の言葉だからスッと入ってしまうっていう心理があまり理解できません。

 だから逆に私は、世の中からの信頼が薄くとも、実際にやってみて、その絶大な力を自らの手で知ることができた催眠術への信頼が厚いのかも知れません。

 個人的には『1908年、新聞記者として世界の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにインタビューをした事をきっかけに、「20年間無償で500名以上の成功者の研究をして、成功哲学を体系化してくれないか」と頼まれる。 彼は「やらせてください」と即答、それから20年間苦悩の末、約束通り1928年に『頭を使って豊かになれ(思考は現実化する)』(Think and Grow Rich)を執筆する。(ウィキペディアより)』っていうくだりが嘘くさすぎてもうダメです。

 20年間のタダ働きなんて、鉄鋼王はどれだけケチなんだよ、世界初のブラック経営者か! って思ってしまいます。私は、人にものを頼むときに、平気でタダ働きを依頼できる人間にはろくな経営者はいないと思っているからかも知れませんが。

 でも、ナポレオン・ヒルさんはスゲー! って思っている人は、何の疑問も持たない。

 何の疑問も持たずに入ってしまう、それこそが、催眠暗示なんですけどね。

 個人的には20年間のタダ働きよりは、催眠暗示で指がくっついて離れなくなったり、椅子から立てなくなる方が現実的です。

 ただ、私を含め、催眠術師は、自分自身の価値観はどうあれ、人が持っている価値観を尊重し、人格を尊重し、催眠(といってもあくまで自己暗示)にかかる人の人生が豊かになるように導く必要があるのかなと思います。

 カーネギーさんとの逸話はさておき、思い込みの力については、実はナポレオン・ヒルさんに同意せざるを得ないんですけどね(汗)。

視ているようで見えていない。

 心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもどの味を知らず(大学)

 他のことに気を取られていたりすると、見ているようで見ていないし、聞いているようで聞いていないし、食べても味わえてはいないということはよくあるのではないでしょうか。

 私はよく、嫁に「話を聞いていない」と怒られます(汗)。
 仕事に集中しているときなどに声をかけられても、まぁ、そうですよね。

 他のことに気を取られていると、見えているものも見えず、聞こえているものは聞こえず、口の中にあるものの味もわからない。

 眼は光を映し、鼓膜は震え、味蕾は信号を送っているにも関わらず、です。

 であるならば、それに集中するならば、無いはずのものが視え、無いものが聴こえ、無い味を感じることがあっても、なんの不思議もないのではないでしょうか。

 ネガティブな話をすれば、麻薬の力でも、幻覚や幻聴があると言います(麻薬を使ったことがないので経験したことはないですが)。

 そうであるなら、催眠術の力で、いるはずの無い人が視えたりすることに、なんの不思議さもないはずですよね。

 それを不思議ならいざしらず、怪しいとか思わせてしまうのは、術師の努力が足りないのかも知れませんね。

 一方で、心理学でもなんでもないメンタリズムが心理学の効果として信じられているのですから、世の中不思議なものです。

 私は嘘がつけないので、メンタリズムについて聞かれ、適当にごまかしているときに「そうは言ってもどこかで心を読んでるんでしょ」って言われると困惑してしまいます。

 堂々と嘘がつける人がちょっとうらやましいかも。  

全てが催眠暗示

催眠暗示の話をするとよく「催眠にかかりやすい人、かかりにくい人っているんでしょ?」という疑問を持たれる方がいます。

・・・。

・・・。

・・・。

催眠暗示は、人が人である限り、必ずかかります。かかりにくい人というのはいません。

かからない場合は、催眠誘導の仕方の相性、術師との相性、その場の空気等が問題なのであって、その人がかからないということではありません。

それに・・・。

今からむちゃくちゃを言いますが・・・。

催眠暗示にかかっていないように見える人も、実はガッチリ催眠暗示にかかっています。

そう。

催眠術にかからないという催眠暗示に。

例えば。

催眠暗示をかけて、最後に解くとします。催眠が解ける、催眠から覚める、つまりはかけらた催眠が無くなるということですが、実はこれ、催眠暗示が解けたという催眠暗示です。

解くと言いながら、結局、催眠暗示です。

だから、かからないのも催眠暗示(笑)。

難しいでしょうか。

立てない! って言って催眠暗示をかけておきながら、立てちゃうのは、確かに失敗、催眠にかかっていない状態に見えますよね。

でも、催眠にかかっているんですよ。これ。

以前。

あるイベントで、気功だったのかな、催眠暗示をかけているのを見ました。

背後から気功師が気を送ると、触れてないのに前に立っている人が吹っ飛ぶとか。

床に座っている女性に気功師が「立て」というと逆に立てないとか。

この「立てと言っているのに逆に立てない」の時に、気功師の方がおっしゃっていたのが「これは催眠術ではない」ということ。

なんでも「催眠術は『立てない』と言って立てなくするが、私は立てと言っているのに立てない」から催眠術ではないんだそうです。

・・・。

・・・。

・・・。

いやいやいやいやいやいや・・・・・・。

あなたが「立て!」って言ったら、立てないっていう催眠暗示でしょうよ・・・。

しかも、口では立てと言っておきながら、体は床に座っている女性に半ば大きかぶさるような前傾姿勢を取っています。
口では立てと言っておきながら、動きは明らかに立って欲しくないように見えます。

私が言いたいのは。

催眠誘導は言葉で行いはするものの、言葉がすべてではないため、言葉通りの催眠暗示がかかるわけではないということ。

ときどき間違って非言語で催眠が入っちゃうことがあったり、ペットボトルが重くて持ち上がらないって催眠暗示をかけると、ペットボトルが重くなるんじゃなくて、自分がお年寄りになって力が入らなくなり結果としてペットボトルが持ち上がらなくなる人がいたりすることからもわかります。

催眠暗示の内容と、言葉は必ずしも一致しないんですよね。

立てと言われて立てない、というのと、催眠にかけられればかけられるほどかからないというのは、ある意味同じ催眠暗示。

様々な催眠術師が「あなたは、私から、この場で、この催眠暗示にはかからない」って暗示を一所懸命にかけ、さらには「あなたは催眠にかからない人」って言ってのけるさまをみると、私は思います。

催眠にかからないって催眠をかけるの上手(笑)!!!!!!!

最後の「あなたは催眠にかからない人」って追い込み暗示は、見事としか言いようがありません。

少なくとも。

催眠は気持ちよかったり、楽しいものだという認識があって、それを多くの人に体験して欲しいと思っている催眠術師であるならば、こういう催眠暗示は避けたいものですね。

催眠は、自分でも信じられない力が発揮できたり、あこがれの芸能人が目の前に現れたり(幻覚ですが(笑))、ものすごい体験ができるのに、そういうものをあなたは体験できませんなんて残酷な暗示、私なら絶対にかけません。

やなぎともあき

柳 知明
(やなぎ ともあき)

・行政書士
・メンタリスト
・催眠術師

 真のメンタリストとは「人の心を読み暗示にかける者、思考と行動を操作する者」のことであると信じ、究極の暗示である催眠とメンタリズムを組み合わせたパフォーマンスを行う。


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