視ているようで見えていない。
心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもどの味を知らず(大学)
他のことに気を取られていたりすると、見ているようで見ていないし、聞いているようで聞いていないし、食べても味わえてはいないということはよくあるのではないでしょうか。
私はよく、嫁に「話を聞いていない」と怒られます(汗)。
仕事に集中しているときなどに声をかけられても、まぁ、そうですよね。
他のことに気を取られていると、見えているものも見えず、聞こえているものは聞こえず、口の中にあるものの味もわからない。
眼は光を映し、鼓膜は震え、味蕾は信号を送っているにも関わらず、です。
であるならば、それに集中するならば、無いはずのものが視え、無いものが聴こえ、無い味を感じることがあっても、なんの不思議もないのではないでしょうか。
ネガティブな話をすれば、麻薬の力でも、幻覚や幻聴があると言います(麻薬を使ったことがないので経験したことはないですが)。
そうであるなら、催眠術の力で、いるはずの無い人が視えたりすることに、なんの不思議さもないはずですよね。
それを不思議ならいざしらず、怪しいとか思わせてしまうのは、術師の努力が足りないのかも知れませんね。
一方で、心理学でもなんでもないメンタリズムが心理学の効果として信じられているのですから、世の中不思議なものです。
私は嘘がつけないので、メンタリズムについて聞かれ、適当にごまかしているときに「そうは言ってもどこかで心を読んでるんでしょ」って言われると困惑してしまいます。
堂々と嘘がつける人がちょっとうらやましいかも。